扉の先は、何かの研究室のようだった。
怪しげな装置、何かの液体に浸かった物体。まるで生物実験を行う施設のようだ。
先導するハルナに続く。鎌を構えつつ進む彼女の後ろを金属バットを構えて進む。
通路の左右に液体で満たされた装置が続く。中には制御室で見たようなコアらしき何かが入っていた。
さらに先に進む。すると少し開けた場所に出た。ここが終点だろうか。奥の机には白衣の男が座っている。乱暴に乱れた髪に三白眼。まさに研究者という風貌である。ここまで研究者らしき人間が今時いるのだろうか。
ようこそ、と彼が口を開く。ドスの効いた声でこちらに挨拶をした彼こそが教授だろう。しかしこの特徴的な声、どこかで・・・?
「やぁ、教授。お前の首をいただきに来た」
ハルナが教授に挨拶代わりの一言を投げる。
「これはこれは。血の気の多い人だ。僕はただの研究熱心な科学者だというのに」
「研究熱心なのは感心するが、こんな危険な研究を秘密裏にしているのは感心しないな」
「危険?何をおっしゃるのやら。研究に危険は付き物です。今回の研究も成功すれば大きな金になります。金があれば次の研究ができる」
今回の研究?それがリリーちゃん誘拐と何か関係があるのだろうか。
「そちらの血の気の多い方は置いておきましょう。ようこそ、ニア。よくぞここまで辿り付きました。貴女の目標にたどり着くための努力を惜しまないその姿勢は昔から素晴らしいと思っています。もっとも、昔と言っても私が貴女やリリーと出会ったのは6年ほど前の話ですがね」
6年前?
・・・もしかして。
「教授。お前はあの時の・・・」
そう、私達が大学生だった頃の話だ。私とリリーちゃんが出会ったのは大学1年生の頃だった。1浪して一流国立大学に入学した私はリリーちゃんと出会った。似たような趣味を持つ彼女とはすぐに仲良くなった。そして、彼女の美貌は当時から数多もの男子を惹きつけ、女子を虜にし、そして、厄介事も惹きつけた。彼女に夢中になり、囚われた男の1人、その中でもとりわけ狂気に包まれていたのが彼、本名を明かさずに終わったが、教授と呼ばれている男だった。この国最難関の大学で特待生だった男である。頭はたしかに良かった。しかし彼のリリーちゃんに対する狂気は並大抵のものではなかった。それを全てはねのけ、守り続けたのが私だ。最終的に1年生の冬に彼の行動が問題視され、退学させられてしまった。噂で聞いた話ではその後、怪しい研究所が彼を引き抜いたとかなんとか。
そうか、あの時の男が、今目の前にいる彼。
「で、だ。お前の目的はなんだ?何故リリーちゃんを誘拐した!」
目の前の野郎にそう吐き捨てる。手持ちの金属バットを構える。目の前の教授は余裕のありそうな表情で立っている。
むかつく男だ。昔からそうだった。
「僕の目的、それは今も昔も変わりません。愛するリリーを、我が手に収める。それが目的です。リリーを、僕だけのものにする。そして、ついに彼女を僕だけのものにする研究が実を結びました。だから彼女を僕の手元に連れてきてもらった」
「お前が研究しているのは人体クローンの技術だと残雪から聞いている。その研究とリリーを独占する研究がイマイチ結びつかない。何を考えている、教授」
ならば見せて差し上げましょう。と教授が呟く。彼は持っているコアを床に投げる。蛸の時と同じようにそれは形を作る・・・そして、それはリリーちゃんの形をとった。
「んなっ・・・」
変な声が出る。
驚くのも無理はありません、と彼は呟きつつリリーちゃんの形をした何かに指示を出す。その何かは後ろの装置を操作する。すると蕾のような装置は開いた。中には数多もの管に繋がれたリリーちゃんがいた。彼女は安らかな顔で眠っていた。
「単純です。この蕾の中でリリーの体をデータ化し、コアに記憶させたのです。つい先日、この装置が人間に対しても使えるようになりました。制御室にいたでしょう?あのコアが今までの中で最高の作品でした。二種類の全く関係のない生物のデータを取り込んだのです。その後少し改良を加え、リリーをも取り込むことに成功しました。この装置の中で永遠に、彼女は僕とともに生き、クローンを量産し続けるのです。コピーであるリリー達を売捌き、僕は金を手に入れ、オリジナルを持つことの優越感に浸る。最高ではありませんか?
そんなことのために・・・
「そんなことのために!貴様は!リリーちゃんを!」
その先は言葉にならなかった。声にならない叫びをあげそうになるが、ハルナの呼びかけで我に返る。
「思ってた以上に最低な野郎のようだな。仕事と言うのもあるが、個人的にお前のような人間は嫌いだ。ここで消えてもらおうか」
鎌を回しつつハルナが言う。
「僕に触れられるとでも?こい。レッサーリリー達、僕のために戦うのだ」
彼が装置の電源を入れると先ほどの通路にいたコア達が一斉に装置から解放され、リリーちゃんの形を作る。それぞれが右手に武器を持っている。おそらくあのコアが作ったのだろう。たくさんのレッサーリリー達がこちらにのそのそと近づいてくる。たまったもんじゃない。リリーちゃんは一人で十分だ。中にはニアちゃん、とこちらに呼びかけてくる輩までいる。こんなにたくさんいても気が狂いそうなだけだった。
「ニア、とりあえずこの狂気に満ちたアンドロイド達を始末するぞ。やれるか?」
「た、多分ね」
正直、あまり自信はなかった。個性のないガワだけのリリーちゃんなら、割り切れば金属バットで殴りかかれたかもしれない。しかしこの様子を見るに多少なりとも個性はありそうだし、生まれる前の記憶も少しは持ち合わせているようだ。そんな人間のように振舞われると、躊躇いが出る。
金属バットを構える、しかし腕に力が入らない。わかっている。レッサーリリーはレッサーリリーであって、あくまで偽物なのだ。しかし彼女の切なそうな顔を見ると、そして声を聞くと、今までの思い出が襲いかかってくる。
一浪して不安だらけだった入学式。女のくせにゲーマーだと罵られないかと心配し、隠し通した5月。彼女と出会った6月。夏の大会に2人で出た7月。初めて2人で泊まりの旅行に出た8月。喧嘩して少し気まずくなった9月。和解して再び遊び始めた10月。意味もなくリリーちゃんを秋の山に連れて登山をした11月。鍋パを開いた12月。教授が現れた運命の1月。彼の猛攻を凌いだ2月。そして平和が訪れた3月。
あの1年だけでも思い出が詰まっている。リリーちゃんの声に、体に、私の想いが反応する。動けない。手が震える。
「ニア、無茶をするな。顔色が真っ青だぞ」
どうやらばれていたらしい。ごめん、ハルナ。彼女の声に安心してしまったのか、力が抜けてしまい、そのまま意識が遠のき・・・
あたしの一言に反応して、安心しきってしまったのか、ニアは意識が飛んでしまったようだ。一般人に毛が生えた程度の女がむしろよくここまで正気を保てたものだ。素直に感心する。
「ポコ、10秒でいい。時間を稼いでくれ」
ポコに指示を出す。彼は教授、レッサーリリーの周りを飛び回り注意を惹きつける。その間にニアにプライマリーヒーリングをかける。ラクシアでは主流の魔法だが、たしかにこれは習熟すると便利そうだ。向こうに行くときは本格的に学ぶことにしよう。
鎌と金属バットををしまい、ニアを抱え、ポコが戻ってくるのを待つ。こいつ、こんなに軽かったんだな。
ニアの意識が戻る前にレッサーリリーを始末する必要がある。そして現状のニアを考えると両腕も使えなさそうだ。つまり現状のあたしが広範囲を薙ぎ払う手段は一つしかない。
「ポコ、完全同調だ。羽による攻撃で薙ぎ払うぞ」
「鎌が使えない現状を考えるとそれがよいと思います。行きますよ」
ポコがこちらに向かって飛んでくる。そのままあたしの中に入ってくる。その後、背中に漆黒の翼が生える。旋風とともに完全に同調する。さぁ行くぞポコ。このままレッサーリリーを薙ぎ払うぞ。
力強く翼を羽ばたかせる。ただの同調では飛ぶ程度のことしかできないが完全に同調すると翼を攻撃に回せるくらいに、意識的に動かせるようになる。レッサーリリーの群れに突撃する。数多のレッサーリリーは断末魔の叫びをあげコアに戻る。聞いていて気持ちのいいものではなかった。たしかにこれをニアが聞くと発狂しそうだ。何度も往復し、翼でレッサーリリーを薙ぎ払う。
全滅させたことを確認する。ニアの目がさめるまでとりあえずこのまま飛び続けることにしよう。
「お見事。貴女のその戦闘能力、並のものではありませんね。ニアを庇いつつ、それでもレッサーリリーを全滅させてしまうとは」
「逆にニアがいないからこその戦法でもあるがな」
正直、そうだった。この建物に侵入する時を始め、一人の方が楽な場面は多々あった。特にこの建物に侵入する際、ニアがいなければ扉付近の影に忍び込みドアを壊さずに潜入できたはずだ。しかし彼女の力が必要だと感じた。多分それは間違いではなかったと思う。
「たしかにニアがいては巻き込んでしまいますね。しかしその戦闘能力、そしてその美貌、貴女もデータ化すれば一儲けできそうですね」
「悪いがダッチワイフに成り下がる気はない」
「はいそうですかと引き下がる僕とでもお思いで? 力ずくでねじ伏せるのみです」
そう言うと教授の横にいる最後のレッサーリリーと共に彼が構える。どうやら大将のご登場というわけだ。こちらの姫は起きそうにない。もうしばらく耐える必要がありそうだ。
「このリリーはレッサーリリーの中でも特に完成度の高いリリーなのですよ。プロトタイプリリーとでもいいましょうか。記憶も完全に僕が掌握しています。平たく言うと僕の下僕ですね。この高揚感。最高だと思いませんか」
「どうだかね」
プロトタイプリリーは鞭を構える。教授の方はフラスコを構える。宙を舞いつつ、出方を伺う。
プロトタイプリリーが鞭でこちらに攻撃を仕掛ける。大きく飛翔しつつ天井を蹴り、教授めがけて飛びかかる。動作が大きすぎたせいもあり、あっさり避けられる。多勢を相手にするには翼は便利だが、少数を相手にするには動作が重すぎる。片手だけでも空いていれば魂喰なり鎌なりで攻撃ができるのだが、どうにも後手に回るのが厳しい。加速し、二人から離れる。先ほどまでいた場所にプロトタイプリリーの鞭が襲いかかる。当たらずに済んだが、絡みとられた時のことを考えたらポコとニアが別にいてくれた方がいい。
ポコとの同調を解除する。彼があたしから出てくる。ニアを抱えつつ、二人と距離をとる。さて、そろそろ起きてもらわないと困るわけだが・・・。
ん・・・。
目が覚めて、最初に感じたのは足と背中の柔らかさだった。ふと周りと見る。どうやらハルナの腕に抱かれていたらしい。
「まったく、目覚めの悪い姫だ。さぁ立て、プロトタイプリリーと教授があたしを取り込もうと襲いかかってきているところだ。力を貸してくれ」
ハルナが声をかけつつ、私を下ろす。そしてこちらに金属バットを投げてよこす。ありがとう。寝ていた分までしっかり働かないとね。
寝ていた分、ね。そういえば、
「ハルナ、本物のリリーちゃんを起こす手段は考えてあるの?」
「んー。特にない。ポコがリリーと緊急同調できれば精神世界にポコが直接起こしに行けるが、行ける保証がないな。できるか、ポコ?」
「ふむ。特にリリーさんと同調できるきっかけがあるかわかりませんが、やってみましょう。装置に近づき調べます。援護をお願いします。」
ポコがリリーちゃんを入れた装置に近づく。教授とプロトタイプリリーが止めに来るが私がプロトタイプリリーを、ハルナが教授を止める。プロトタイプリリーは鞭でこちらの腕を絡め取ろうとする。なんとかかわす。こちらの武器が金属バットである都合、あまり絡みとられたくはない。
「ニア!走れ!」
妙に通るハルナの声が聞こえる。よくわからないが本能的に走り出し、プロトタイプリリーの脇をすり抜ける。私が先ほどまでいた場所にフラスコが落ち、謎の液体が飛び散る。一瞬で蒸発したが、何かまずそうな液体であることは容易に想像できた。
「ハルナ!何故かはわかりませんがリリーと緊急同調できそうです!支援をお願いします!」
ポコの声が聞こえる。させるか!と教授が叫びつつ装置に走り出す。ハルナが防ごうとしたが、謎の液体を足元に投げつけられ、足が止まってしまった。私が防ごうとしたが、プロトタイプリリーの鞭に足を取られてしまい、そのまま背中から転倒してしまった。息が詰まる。痛い。
邪魔をするな!とハルナが叫びつつ鎌を投げる。回転しつつ鎌は教授に襲いかかる。間一髪のところで避けられてしまったが、彼の足を止めることには成功した。そのまま壁に豪快に突き刺さる。
「行きます!」
ポコが言うと彼の体はリリーちゃんに吸い込まれた。
「リリーのことはポコに任せよう。ニア、今はこちらの二人を始末しないと安全が確保できない」
「そうだね」
まずはこいつらを倒さないと。
リリーの精神世界にたどり着いた。目に見えたのはハルナがニアを庇ったあの仕立屋だった。ふむ、何故ここに。辺りを調べる。机に突き刺さった裁断鋏まで再現されていたが、異なる箇所が三つあった。
一つ目。店の裏側、あの時ハルナとニアが入ってきた所だ、に入り口はなく、代わりに小さな扉のようなものがあった。
二つ目。中央の机の上にあの頃なかった謎の扉がある。小さな扉で私が通るにはちょうどいい大きさの扉だった。どこに通じているかはわからないが、半開きの扉を見る限り、くぐるとまったく別の所にたどり着きそうだ。
三つ目。中央の机の上に作ったはずのドレスがなかった。ドレスを作る前のマネキンがそのまま放置されている。そしてマネキンの近くにはボロボロのハンカチが落ちていた。前までここにドレスがあったとすれば、私がリリーと緊急同調できた理由がわかる。彼女が私のドレスをここで纏っているならばそれを素材に緊急同調できるはずだ。緊急同調できた理由はわかった。半開きの扉を見るにおそらくこの先にリリーがいるはず。扉の先へ急ぐ。
扉の先を少し進むと螺旋階段に出た。階段が腐った鍵盤でできている。しかし私は烏だ。この気味の悪い階段は無視して中央の吹き抜けを飛び降りる。適度に速さを調整しつつ下る。下れば下るほど少しずつ壁に描かれた星が少なくなってきて、ある所を境に、完全に消え失せてしまった。確実に辺りが暗くなるが、それでも先を急ぐ。さらに進むと壁に描かれているものが目とか、口とか血管のような体の組織を彷彿とさせるものに変化してきた。なるほど、彼女の精神状態はあまり良くないかもしれない。狂気に彩られた螺旋階段を下りきった。途中からリリーの体の一部と思われる形をした体の破片が吊るされるようになった。私はハルナと付き合いが長いしこのような光景は何度か見てきたが、果たしてリリーはどう感じたのだろうか。
階段の最下層までたどり着いた。最下層は禍々しい雰囲気が漂っていた。ただ事ではなさそうだ。一角だけ一般的なオフィスの入り口のようになっていて、中に入れるようになっている。おそらくこの先が終点のはずだ……。
そうだ、私は会社に行く途中に大学生時代のストーカーと出会ったのだ。そして、彼に襲われた。私は何もできずに彼に連れ去られ、体の自由を奪われ、スーツは引き裂かれ、全裸にさせられて装置に入れられた。あの時の彼の顔は絶頂に浸る顔そのものだった。ただひたすらに不愉快だった。私を脱がせて興奮している彼に、私の体の自由を奪って悦ぶ彼に、ただただ嫌悪感を感じた。
その装置には、安らかな顔で眠る、数多もの管に繋がれた私が入っていた。おそらく、これが現実の私なのだろう。この装置に眠る私がこれからどうなるのかはわからない。もう目覚めることもないかもしれない。それももういいかもしれない。起きた時は彼の不愉快な顔しかないと思うと、この空間でそのまま朽ち果ててしまった方が楽かもしれないとさえ思う。
力が抜けてぺたんと座り込んでしまった。涙が出る。私は、私の体はどうなってしまうのだろうか。彼の玩具にされてそのまま捨てられてしまうのだろうか。私の精神は、ここに囚われたまま消えてしまうのだろうか。後ろ向きな考えしか出てこない。いっそ楽にしてほしい。思い出したくない。思い出したくない事実が頭から次々と湧いてくる。私を運ぶ時の彼の顔、スーツを引き裂く時の彼の顔、やめて。思い出さないで。考えないようにしたい。
その時、入り口の方から一羽の烏が現れ、私の前に着地する。烏を見て、私の体は縮んじでいたことを思い出す。
「貴女がリリーですか?」
その烏は妙にいい声で私に声をかける。なるほど、奇妙な世界で初めて出会ったのは真っ黒な烏か。今の私にお似合いかもしれない。
「うん。私がリリーだけど」
「よかった。現実世界でニアと私の主人が待っています。この世界から脱出しましょう」
・・・今なんて?ニアちゃん?
「えぇ、そうです。お二人が現実世界で貴女のために教授と戦っています。私は貴女の精神世界に潜り込み、ここにきました。ニアと協力関係にあるハルナの眷属、ポコと言います。よろしく」
「私は・・・知ってると思うけど、リリーよ。よろしく」
どうやら現実は私が思ってる以上に悪い方向には転がっていないらしい。
「そうと決まれば出発です。リリー。貴女はここに来るまでひたすら降り続けてきませんでしたか?」
「・・・言われてみればたしかに」
穴に落ちたところから始まり、螺旋階段とどんどん下に降りてきた。その旨を彼に伝える。
「ふむ。やはりそうでしたか。おそらくその最初の穴から出られればこの世界から脱出できるはずです。先ほど螺旋階段を見てきましたが、ボロボロに腐っていました。私が貴女を乗せましょう。都合がいいことに私に乗るくらいの大きさと重さになっていますしね。私は仕立屋から侵入に成功したので、その先の道案内は頼みます」
まさかこんなところで小さくなったことが役に立つとは思わなかった。そういえば、
「ポコちゃん、このドレスって貴方の羽でできているの?」
「えぇ、現実世界のあの仕立屋で私が作ったものですね。なぜここにあるかはわかりませんが、それを素材にこの世界に潜入しました。結果的にこうして貴女の希望の光となったわけですから、私としては嬉しい限りですね」
やっぱりそうだったのか。最初に彼の羽の綺麗さを見た時に薄々感じてはいたが、このドレスは彼が作ったらしい。様になっているかどうかはわからないが、彼は満足そうな顔をしているのでこれはこれでよかったのかもしれない。
さぁ無駄話が過ぎましたね、乗ってください、と彼が言う。そうだ、私を待つ人がいるなら、それに賭けてみる価値はある。
ポコちゃんに乗ると、彼は羽ばたき、宙を舞う。そのまま部屋の入り口を出る。外は私が来た時以上に禍々しくなっていた。階段だった何かは腐臭を放ち始めていて、行きに見た体の破片はカタカタ動いている。そして薄気味悪い呻き声を上げつつこちらに近づいてきている。足などがない体の破片がうねうねこちらに近づいてくる様はただひたすら不快だった。思わず顔をしかめる。
「地獄絵図ですね。しっかりつかまっていてください。捕まる前に一気に駆け上がります」
この不快な生物だった何かに捕まったらどうなるのだろうか。
「黒き旋風よ、私を導く道となれ!」
妙にかっこいい口上だなぁと感心していると、螺旋階段だった何かの吹き抜けに黒羽根と共に黒い旋風ができる。そのまま彼は旋風に突っ込み、風に乗った。しっかり捕まれと指示があっただけに、すごい揺れる。ドレスの端がパタパタ言っている。そしてすごい勢いで吹き抜けを登っていく。
旋風に乗り、勢いも安定し始めた頃、そういえば、とポコちゃんが呟く。
「ニアとリリーは一体どのような関係なのですか?ニアが真剣に貴女のために全力を尽くしている姿を見るとどうしても疑問に感じます」
「私たちは、大学の同級生だよ。でも、ただの同級生ではないと思う。ニアちゃんは、初めて、私が真剣に趣味を話せた友人だから」
女に生まれた以上、やはりゲームを肴に真面目に語れる女友達は少ない。少なくとも私の周りには。ネットを通じて女子会を開けることはあっても、現実に夜な夜な語り合える友人というのは少なかった。だから大学では普通の女子として振舞っていた。バリバリの文系だったので文系女子として。そんな中、出会ったのがニアちゃんだった。彼女は偽装文系女子としての私を一瞬で見抜き、2人きりになった時、ゲームの話を持ちかけてきた。同じ境遇だったからこそすぐわかったのかもしれない。そのまま意気投合した私達はよく遊ぶようになった。お互い趣味を隠し通すのは慣れていたので緩い女子会と称してあちこち遊びに行きつつ話すことはゲームの話題が多かった。紆余曲折あったがなんとか大学を卒業した私はそのまま首都の大手企業に就職、ニアちゃんも名を名乗れば驚かれるような企業に就職したのでお互い順調に社会人生活をスタートできた。社会人になっても私達のやることは変わらなかった。隙があれば趣味に限らず無駄に話し続けたし、お金に余裕もできたので有給を浪費して旅行に行くことも増えた。
あの時から、そして今でもニアちゃんには支えられっぱなしだった。それは趣味の枠に限らず、日頃の悩みを打ち明けたのもニアちゃんだったし、就活に疲れた時に甘えさせてくれたのも彼女だった。そして、度重なるストーカー被害から私を守ってくれたのも、彼女だった。そして、そのストーカーに体を奪われた今、助けに来てくれているのもやはりニアちゃんだった。
ふふっ
思わずにやけてしまった。どうしたのですか?とポコちゃんが訪ねてくる。
「いやね、今の私、囚われのお姫様だなと」
「着ている服装も、眠っている貴女の体も、そしてハルナとニアが助けに来ている現状も、どこを切り取っても間違いなく囚われの姫ですね。大丈夫、眠りの姫に救いの未来は、ありますから。我々で用意しましょう」
頼りになる眷属さんだった。いや、私には姫を助けに来たナイトそのものだった。
螺旋階段を登りきった。そのまま入り口の扉を抜け、先ほどまでいた仕立屋まで戻ってきた。ここからポコちゃんは道がわからないらしいので私が案内をする。たしか裏にある小さな扉からこの仕立屋に入ったと、思う。そのことを彼に伝える。扉の前まで向かおうとするが、その時、背後から妙な気配を感じる。確認をすると中央の机に刺さっていた裁断鋏、私を机の上まで導いたそれ、が抜け落ち宙を舞い、こちらに刃を向けていた。
「これはこれは。穏やかではなさそうですね」
ポコちゃんが余裕の表情で呟く。
「しっかり捕まっていてください。全部避けます。大丈夫、ハルナと違って私は全部避けられますから」
まるでハルナちゃんが鋏に刺されたかのような言い方をしつつポコちゃんはいう。しかし今度は旋風の時以上に揺れるだろう。しっかり捕まり落ちないようにする。
裁断鋏がこちらにめがけて飛び込んでくる。とても見てから避けられる速度ではないが、そこは彼が烏だからなのか、それとも人外だからなのか、綺麗に避けつつ地面すれすれを高速で飛ぶ。そのままの速度を保ち、垂直に飛び上がる。天井付近まで行くと一回転しつつ高度を保ちつつ滑空をする。最後に地面すれすれまで、まるで狩りをする鷹のごとく飛び込んだ。そのまま地面すれすれを飛び続ける。その途中で裁断鋏は在庫が尽きたらしい。刺さった裁断鋏はしばらく動きそうになかった。
「今のうちに行きましょう。次も被弾しない保証もありませんからね」
減速しつつポコちゃんは言った。
「そ、そうね」
こちらは大型のジェットコースターをシートベルト無しで体験したような気分なので、しばらく休憩したかったが、このままぼんやり休んでいてはもう一度体験することになりそうだ。彼の提案に乗り、小さな扉の近くまで進む。
今度こそ扉の前に着地して器用に扉を開けるポコちゃんを見て和みつつ、飛び立つ彼に捕まる。扉だらけの部屋まで戻ってきた。奥の大きなハートマークの扉が入り口だと告げるとそちらの方まで進む。
その途中でポコちゃんが着地する。何事かと声をかけると、これを見てくださいと言わた。見てみると、それは私が先ほどまで着ていたスーツだった何かだった。ジャケットやスカート、ワイシャツは完全に布切れになっていて、原型をとどめていない。かろうじて下着が原型をとどめているかどうかという世界だ。
「私が縮んだ時はこんなにズタボロじゃなかったはずなんだけど」
「現実世界とこの世界が少しずつ繋がりつつあるのでしょう。早いところ脱出しましょう。この世界の崩壊に巻き込まれては現世に戻るはずだった貴女の魂もそのまま消えてしまいかねません」
一時は消えてもいいと思ったが、生きて帰ると決めたんだ。ここに来て消えるわけにはいかない。ここのスーツに未練はない。どうせ現実世界のスーツ達はとっくの昔に布切れにされてしまっている。さぁ行こう、ポコちゃん。
ハートの扉を何とか抜け、最初に通った通路を抜ける。ここら辺も確実に侵食されつつあるようだ。岩にはヒビが入り、そこから血が流れ出している。この道を躊躇いなく飛び続けるポコちゃんが勇ましく感じた。
ついに最初の場所に戻ってきた。ここから始まった小さな冒険は、ここで終わりを告げようとしていた。行きます、というポコちゃんの掛け声を共に私はポコちゃんにしがみつく。朽ち果てた螺旋階段の時と同様、かっこいい口上と共に黒い旋風が巻き上がる。そのまま旋風に乗るポコちゃん。ぐんぐん穴を登り、そして外に飛び出した。
ポコがリリーちゃんの救出に向かった。私にできることは彼を信じつつ、目の前のプロトタイプリリーと教授を始末することだった。しかし私はポコを見送っている場合ではなかった。プロトタイプリリーの鞭に足が縛り付けられているのだ。この鞭を取らないと教授の攻撃すら避けられない。それはまずい。ハルナは少し遠くにいる。あそこで鎌を投げたのだろう。先ほどポコの緊急同調を防ごうとしていた教授はリリーちゃんが入った装置の近くまで来ていた。ハルナがフリーだが、それはすなわち私の近くに教授もプロトタイプリリーもいるというわけで。プロトタイプリリーが鞭を解くタイミングで教授がこちらに薬を投げてくる。避けられるわけもなく被弾する。しかしそこ薬は先ほど私に投げてきた薬とは違った。酸性の毒薬ではなく、スライム状の粘液だった。立てない。手足が全くと言っていいほど動かない。
「ニア!」
ハルナが十メートルくらい離れたところでこちらに声をかける。
「待ってろ。それはただの粘液だ。凍らせれば取れるはずだ」
そういいつつ彼女が何かを唱えている。魔法で凍らせてくれるのかもしれない。しかしこの魔法、傷を回復してくれたときから感じていたが、だいたい十秒くらい発動にかかる。そして今はその十秒が致命的だった。
「その首、刈り取ってあげましょう!ニア!ここで終わりだ!」
豪快に突き刺さった鎌を抜き、教授がこちらに乱暴に投げつけてくる。なんとか魔法は発動し、粘液は凍りつき、動けるようになった。しかし今から立ち上がって鎌を避けられそうにない。
「間に合わないか。くそっ」
ハルナはこちらに弾丸の如く飛び込み、私を吹き飛ばす。手足に凍った粘液がこびりついていた私はそのまま少し滑る。豪快な切断音と共に私のお腹に飛び込んできたのはハルナの右腕だった。
「ひっ」
人の切断された腕を生で見るのは流石に初めてだ。頭がくらっとする。
「ニア! そいつは投げ捨てておけ! あたしなら無事だ!」
ハルナが先ほどまで私がいたところで叫ぶ。痛みに顔をしかめていたが、それでもハルナは立ち上がれるようだ。足についた氷を取り、ハルナの元に駆け寄る。
「ご、ごめん、ハルナ、私のせいで」
「早くあいつを倒すぞ。それからあたしの腕は治せばいい。治るから心配するな」
それに、無くしたのは右腕だ。ならまだなんとかなる、とハルナはいう。心配するなと言われても、腕の切断に見慣れない私にとってはショッキングな絵面だった。
「ニアは殺り損なったようですが、そこの死神の機動力は大きく損なったはずです。機動力がない貴女に脅威はない。先ほどニアを庇っていた貴女を見て確信しました。さぁこちらの方が優勢ですね」
「その言葉、あたしの本気を見てから言うんだな」
腕をなくしても余裕のハルナだ。その余裕はどこから湧いてくるのだろうか。
しかし彼女の言葉は本物だったようだ。ハルナの足元にドス黒い渦が巻き始め、そして黒い旋風に変わる。旋風は黒い羽を巻き上げつつ、ハルナを包む。そしてその渦はスカートの裏に隠れているだろう短剣に、ポコがその名は魂喰だと言っていた短剣に、集まる。教授もプロトタイプリリーもその異常性に何かを感じたのか粘液の壁を作ったようだ。
「砕け散れぇ!!」
ハルナが居合の構えから短剣を抜く。その時に発せられた衝撃波の強さは螺旋階段で見せたそれの比ではなく、とても大きく、強く、空間を引き裂いた。衝撃波は粘液を余裕で貫き、教授とプロトタイプリリーに襲いかかる。
「行くぞニア! 教授の頭に一発かましてこい!」
ハルナが叫ぶ。先ほどと違って、ハルナに反動はほとんどないようだった。そして、短剣が短くなることもなく、大きな美しい刀の形を保っている。ハルナはそのまま動けないプロトタイプリリーに斬りかかる。私もぼんやりしてられない。
「これで終わりだ、教授!」
絶叫しつつ私は教授の頭にフルスイングをぶちかます。教授は壁まで吹き飛び、そのまま動かなくなった。
ハルナの方もプロトタイプリリーを粉々に切り刻んだようで、私が見た頃にはプロトタイプリリーの残骸と刀を片手で構えたハルナしかいなかった。そのままハルナは教授が死亡したことを確認すると、刀をしまい、右腕を修復する。ほらな、と何事もなかったかのように動かすハルナだが、常識人枠の私からすると正直気味が悪かった。
ハルナの右腕の修復も無事に終わり一息ついた頃、いよいよ私の冒険も終わりが見えてきたことに気づく。
「もうこいつはいらないかな」
そう言いつつ、ハルナに金属バットを返す。
「正直、そこまでその金属バットを使いこなすとは思ってなかったよ。最初は自衛に使ってくれればいいかな、程度だったんだけど、まさかあたし以上の火力要員として動いてくれるとはね。おかげでいろいろ楽させてもらったよ。無事に仕事も終わったし、後は眠り姫が目覚めるのを待つだけだな」
そうだね、と言った時だった。眠っていたリリーちゃんを黒い羽が包み込む、そしてその羽が弾け飛ぶと同時にリリーちゃんからポコが飛び出してくる。包まれた黒羽根の中から出てきたリリーちゃんはポコが作ったあのドレスを着ていた。リリーちゃんは無事に目が覚めたらしい。そしてこちらに気づき、ドレスの裾を少し上げつつ、こちらに挨拶をする。
「ただいま、ニアちゃん」
そこから先のことは、あんまり覚えてない。号泣したまま、リリーちゃんに抱かれたような気もするし、ハルナに頭をポンポンされつつリリーちゃんを歓迎しようと必死になったまま号泣して動けなかったような気もする。
泣きに泣いて落ち着いた頃、リリーちゃんが私を立たせてくれた。ハルナとポコに、リリーちゃんと2人で向き合う。
「貴女が、ポコちゃんが言っていたハルナちゃんかな?」
「あぁ、いかにも。あたしがポコの主人であり、今回ニアに協力を依頼した神城ハルナだ」
「そうよね。今回はありがとうございました」
そこで言葉を区切り、ぺこりと頭を下げるリリーちゃん。私も頭をさげる。
「ハルナちゃんとポコちゃんがいなかったら、私は眠り続けていたかもしれない。精神世界に迎えに来てくれたポコちゃんがとても頼もしかった。最後までニアちゃんを支え続けてくれたハルナちゃん。そして、ここまで私を迎えに来てくれたニアちゃん、本当にありがとう」
「あたしのはただの仕事だ。きにするな」
「えぇ。それどころかこのようにドレスまで着ていただいて、私としてはこちらが感謝しなければと思っているくらいですよ」
「わたしは・・・大切な人がいなくなったら、じっとしてられないからさ。やっぱり、リリーちゃんには元気でいて欲しいから」
各々リリーちゃんの言葉に返事をする。相変わらず素直じゃないハルナではあったが。
「そうだ、せっかくだ、餞別を用意してやる。ポコ、あれ作ってくれ」
「結局私が作るんじゃないですか。なんで貴女が作るみたいに言うんですか」
ぶつぶつ言いつつポコが作業に入る。何を用意してくれるのだろうか。
「あと、今のうちだ。ニア、あたしのブレザーを返せ」
忘れてた。私が今着てるのはハルナのブレザーだった。ハルナに返すべく近づき、これが絶好のチャンスだと気づく。襲いかかり胸に飛びつくのはこれが最後のチャンスだろう。ブレザーを返すふりをしてそのまま彼女の胸元に飛び込む。
ところがハルナは脇によけ、器用にブレザーをひったくりつつ私の足を払う。そのまま私はずっこけてしまった。痛い。
「阿保か。流石に読めたわ。戦闘中はあんなに様になってたお前がなんでこんな安直なことをするんだか」
ブレザーに腕を通し、呆れつつハルナが言う。横でリリーちゃんがくすくす笑っている。畜生。一回くらいいいじゃないか。最後まで雑に扱われ終わった私であった。
できましたよ、というポコの一言と共に私たちは一斉にポコの方を向く。ポコがこちらに寄越したのは烏の濡れ羽色のシュシュであった。リリーちゃんの方には純白のシュシュが渡されいる。どちらの烏の羽の模様が刻まれていて、とても美しいものだった。
「リリーの方は長い髪の毛につけて、ドレスと合わせてもスーツと合わせても様になるように白にしてみました。ニアの方はショートの髪の毛ではなく、腕につけて様になりそうな、私服とも合わせやすい黒にしてみました」
ありがとう、とリリーちゃんと合わせてポコにお礼を言う。
「それはあたしたちからの餞別だ。困ったらそのシュシュに向かって何か念を飛ばしてくれ。なるべく早く駆けつけるようにするよ」
最強のコネができてしまった気がする。そして素直に嬉しい。リリーちゃんも同じことを思っていたのか、こちらを見て嬉しそうな顔をしている。そうだ、とリリーちゃんが呟きつつ、なんでシュシュにしようと思ったのかとハルナに聞く。
「あたしもこの間まで別にシュシュに熱い思い入れがあったわけではないんだ。現にこのくらいの髪の長さだとシュシュはうまく使えないしな。この前会った金髪の少女があたしに再会の約束として水色のシュシュをくれたのさ。本人は決意を込めた黄色いシュシュを持っていってね。だから餞別にはシュシュを渡そうかなと思ったんだ。要するにただのきまぐれさ」
とハルナは答えてくれた。
「なんだかいい話だね」
とリリーちゃん。そういうことならば貰っておこうと思う。
「そういえば、リリーちゃんのこのドレスはどうなってるんだろう?」
ふと気になった。さっきポコと精神世界から帰還した時、何故かリリーちゃんが着ていた。
「おそらく今はただのドレスです。似合っているのでそのままリリーがお持ち帰りください。その方がドレスも喜ぶと思いますから」
とポコが答えてくれた。嬉しそうにするリリーちゃん。
さぁ帰ろう、というハルナの声に合わせて私たちは教授の研究施設を後にした。
END