私自身にあまりそれらが存在しないという話。私の中に男と女という区切りがほとんどない、というのが正しいかも。
私も男だし彼女の前で飯奢らなきゃ、みたいな気持ちにならないし(私の趣味に使う金が減るからヤダ)、仲良しの同期女子と飯に行った時に私が多く出すかという怪しい。というか向こうの方が残業の分稼いでるんだから少し多く出してみたいな気持ちにすらなってくる(相当失礼)。金に限らず、スプラトゥーンで一緒に遊ぶときも男女問わず仲良くできそうな人をサルベージしてくるし、オフ会に突撃するときも仲良く遊べそうならば別に女の子だらけのところに突っ込んで行ったりもする。そこに女の子だからという他意は特にない。私の中で第一優先は楽しく遊べるかどうかであり、要するに「楽しいことが正義」なのである。
このように、私はあまり相手が女性だから気を遣おう、などとはならない。流石に女の子に荷物をたくさん持たせようとは思わんが。私の方が力があるんだから私が多く持つのが理にかなっているしという面が大きい。多分相手がムキムキの女性だったら荷物持ってもらう。
おっぱい大好き少年が何言ってるんだ、と言われそうではある。性という意味では女性の方が好きだということが今発覚した。うん、性的に気持ちよくなるならムキムキの毛むくじゃらのおじさんより裸のお姉さん派ですね私は。
多分相手のことを男女で区別したくない、というより自分を男という器に押し込めたくないんだろうなと思う。一応ちんちんついてるので脳では自分が男ということはわかっているが……。男だから女だからと「楽しい」ことを妨害されたくない、というのが正しいところなのだろうか。うーん、わからなくなってきたな。
なんでこんな変なことを思い始めたかというと発端は「彼女に飯は奢るかどうか」みたいな議論を見た時。私はほっとんど彼女に飯やら物やらを奢らない。むしろ向こうも金稼いでライブやら趣味やらに金をつぎ込んでいるのに私だけ向こう飯まで出さんといけんのだ、くらいの心持ち(ここまで激しくは思ってないけど似たような気持ち)である。そして私自身は彼女だろうと家族だろうと趣味には首を突っ込まない。たしかに私と一緒にいることが向こうにとって至福のときかもしれないが、趣味という世界ではそこに私がいて両方の最大幸福度が上がるかというとまた別の議論が必要になるだろう。常に隣にいる人物の最適解が私とは限らないわけだ。彼女もよしなにスプラトゥーンをプレイしているが、一緒にサーモンランもやらないしリグマもやったりはほとんどしない。2,3回やったかなぁくらい。フェスの時にたまに共闘するくらい。しかも陣営もバラバラだしな我々。別にこれに対して何か思うところがあるかというと、ないし、これでむしろいいとさえ思っている。私にとってスプラトゥーンをするときに隣にいる人の最適解が彼女ではない場面が多いというだけ。勿論、これはスプラトゥーンや趣味の場合に限った話だし、夕飯を一緒に食べたいとなった時に一番楽しいのは彼女だし、私を墓場まで見送ってもらうならばこの人以外はいないだろう。
一緒にボイスチャットでゲームしてるだけで人妻にも関わらず若い男のことを好きになってしまうやばい人を見てきてしまったので多分この手の話題に敏感になってたんだろうな。自分の中に「今日は誰と一緒に遊ぶと楽しいのか」の明確な線引きがある、ということがわかったのでもうよしとしよう。着地点が見つからない。