死の話

読んで字の如く。死についての話。

事の発端は会社での同期との雑談。彼の祖母が先日亡くなったからそのうち休むから日取りが決まったら報告するねーという話だった。人はいつか死ぬ物である。だからしっかり見送ってやってくれ、という話をした。

私の祖父母は一昨年の5月くらいに亡くなった母方の祖母を最後に皆他界している。流石に4回目の見送りということもあり、私も「最期の別れ」というものに慣れていたのですんなり別れることができた。最初に亡くなったのは母方の祖父で私が幼稚園生とかの時だったので全く覚えていない。次に亡くなったのが父方の祖父で、中学2年の春休み前後の時だった。父が頻繁に帰省するようになり、只事ではないのだな、となんとなく思ってはいたが、いざ亡くなったと聞いた時のショックはかなり大きかった。父方の祖父には非常にお世話になったし、小学生の頃は毎年のように父の実家へ行っては祖父と遊んでもらっていた。その頃は非常に元気だった祖父が一瞬で衰弱し、そして他界してしまった。私の中で無敵に見えていた祖父だっただけにそんなあっさり死んでしまうのかと、最期の別れは言えなかったと、とても悲しい気持ちになった。大きな祖父の背中はあっさり崩れてしまった。また、父方の祖母が他界した時、私は高校2年の期末テストの最中(テストの日)だったので顔を出せなかった。最期の別れはできなかった。

人はいつか死ぬ物である。私の家の犬もいつか死ぬ。そして父、母、私、姉と死の気配は確実に私にも迫ってきている。見送る者から見送られる者へ。そういうものである。我が最愛の彼女のこともあり、今は生き延びられる限り生きてやろうと思えるようになったが、昔は死というものにそこはかとなく魅力を感じていた。死んだらどうなるんだろうか、私はどこへいくんだろうか、と。

今となっては死に物狂いで生き延びてやろうと思っているし、とりあえず生きてりゃなんとかなるだろうと思っている。今度は今度で自分の体や性格のことを考えるとどうにも長生きできないなと思うようになっている。勿論、諦めはしないが。いつぞやの記事で書いたように私はそもそも体が弱いし、「大統領」の二つ名に恥じない妙に存在感のある性格もしている。なんか早死にしそうだよねと言われたこともある。わかる。わかってる場合ではないのが。

私の彼女は長生きしそうなファイター性能をしているので全く心配していないが、それでも私の方からケアしてやる必要がある場面も出てくるだろう。悔いのない人生を送っていこうと、改めて思ったという話。

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