1
嫁ぐ先が決まったと知らされたのは、昨日の夜だった。前々から相手の人達とは面識があるし、それぞれの家が親密になるためには、政略結婚を通じ混じり合っていくのが一番穏やかに済むだろう、とお義父様が言っていた。私が住んでいる今の家はこの地方でもそれなりに有名な家で、相手も同じくらいには有名な家だ。この家であまりよい扱いを受けてこなかった私からすると、この結婚はそれなりにまともな選択肢に見える。少なくとも、今よりはマシな生活が待っているのだろう。
目覚めの時間である。なんとかベッド抜け出し、着替える。ボサボサの髪の毛を整える。シャツにロングスカートといういつものスタイルは締め付けられる感覚が少なくて、とても気に入っている。
支度をしていると、部屋の扉をノックする音が聞こえる。声をかけると失礼します、という声と共にメイドが入ってくる。
「ラナン様、本日の朝食をお持ちいたしました」
「ありがとうございます、アスカ」
メイドに挨拶をし、朝食を摂る。二十日ほど前にこのメイドに担当が変わったらしく、アスカというこのメイドは担当になってから朝食の時に私との雑談に付き合ってくれる、名前だけではなく行動もなかなかに珍妙なメイドであった。本日の朝食は、と彼女がメニューの解説をしてくれるが、全くもって知識のない私からすると美味しい、か美味しくない、の二択しかなかった。一口頂いた本日の朝食の感想は美味しいの方だった。
「ラナン様、本日は結婚相手とこの屋敷についてお話をしようと思います。ラナン様が今住んでいる、この家の家系は代々ゴーレムを操る魔法に長けた家系でした。それはお義父様からも散々聞かされていると思います。また、ゴーレムだけではなく、死者の魂を司る魔法にも長けた家系です。今回の結婚相手はこの家とは別の魔法に長けた家系と聞いています。その二つが混じり合うことで何か革命が起こせないかと考えたお義父様はその政略結婚の橋渡しとして、容姿端麗な貴女を選んだ、というわけですね」
「えぇ、そのようですね。六年前、お義父様は婿様と私を結婚させるために孤児である私を孤児院から引き取ったと前任のメイドから聞きました」
「私も他のメイド達からその話は聞かせていただきました。この家での生活も含め、これまで不幸だった分、嫁ぎ先でもこれまで以上に幸せになってほしい、と私は思います」
私の担当になってからずっと見せている営業スマイルを今日も披露するアスカ。
「この家はゴーレムの扱いに長けた家だからこそ、警備装置はゴーレムが中心になっているのでしょうか」
「二、三週間勤めただけなので私も詳しくはわかりませんが、そうだと思います。この屋敷の警備装置、精度は良いと聞きますが、実は結構欠陥だらけとも聞きます。他の魔法で警備装置の強化を測ることも目的と仰られていましたね。そう言えば。しかしやはり一番の目的は相手の家とのコネクションを作り、お義母様や実の娘が他の魔法を学ぶきっかけを作ることだと思います」
実はお義母様がこの家で一番魔法の扱いに長けているという話もたまに聞く。
「いきなり見ず知らずの人の家に突撃し、仲良くしようと言っても、いくら有名なこの家でも流石に怪しまれてしまいますからね。バカな私でもそれくらいはわかります」
逆に、礼儀作法の勉強しかしていないのでこれくらいしかわからない。
「そうですね。二つの魔法の融合はおそらく良い方向に動くと思います。他のメイド達はラナン様より実の娘の方が嫁がせるには適任だと主張する者もいます。しかし、私は実の娘より貴女様が名誉ある結婚に選ばれるべきだと思います」
「ありがとうございます。そう言ってくださるのはアスカくらいなものです」
周りからお前は容姿だけが取り柄だ、と言われ続けて早六年。容姿以外なら実の娘の方が適任のようなので、実は嫁がせるのは私ではなくても良いらしい。そういう背景もあり、私がいなくても代わりがいる、というのがこの屋敷の基本的なスタンスである。代わりがいるなら、本命がいるなら、別に私が果ててもどうでもいいのだろう。この屋敷での私の扱いはとてもいいと言える物ではなかった。最近ではこのメイド、アスカだけが私と対等に接してくれた。
「ごちそうさまでした。今日もありがとうございます、アスカ。残り少ない日数ですが、こうして私とお話ししてくださると嬉しいですわ」
「ラナン様が楽しいと仰るならば、私、最終日までこうして貴女様とお話ししようと思います」
ニッコリ笑い、食器を片付けるアスカ。こうして朝の雑談の時間は終わった。今日も夜まで礼儀作法の勉強だけして終わるのだろうか。私は十歳の時この家に来た。それから今日に至るまで、礼儀作法の勉強ばかりさせられ、特に魔法に関することは学ばなかった。それこそゴーレムを操る魔法に長けた一族の家に来たにも関わらず。やはりというか私のことは政略結婚の道具としてしか見ていないのかもしれない。机の上にある両親と写っている私の写真を見る。何故私の両親は死んでしまったのだろうか。ちゃんとは覚えていないが、たしかバイクか何かの爆破事故に巻き込まれて木っ端微塵になって死んだとか聞いたような気もする。今となっては考えても仕方のないことでもある。私に深い愛を注いでくれた両親はもういないのだ。木っ端微塵になっては蘇生魔法で蘇生させることもできないと、先日アスカから聞いた。
2
午前の座学を終え、昼食を取りに部屋に戻る。知っていることを淡々と繰り返すのみである。いくらバカな私でもここまで繰り返さなくてもできるようになる。今日も完璧な礼儀作法を繰り出し、乾いた褒め言葉をもらい、そして終わる。午後は自由時間だと聞いたので裏庭に出て斧の鍛錬でもしようか。
部屋に戻り、昼食をとろうとしたその時だった。部屋に、屋敷に警報が鳴り響く。慌てて立ち上がる。警報と共に無機質な声が響く。
「これは訓練ではありません。繰り返します。これは訓練ではありません。何者かが屋敷内に侵入。魔力を感知。屋敷全体を閉鎖します。至急、屋敷内にいる者は脱出を図ってください。繰り返します。屋敷全体を閉鎖します。屋敷内にいる者は脱出を図ってください」
何事だろうか。六年近くこの家に住むが、訓練以外の警報を聞くのはこれが初めてだった。何やら魔力を感知だとか言っていたが。
問題はそこではなかった。部屋の扉が開かなくなってしまった。さっそく閉鎖がはじまったようだ。このままでは私も脱出が困難になってしまう。しかし逆に考えるとここにこのまま引きこもっていれば安全なのではないか。
あたふたと五分ほど色々考えていると、部屋の扉を蹴り破り、メイドのアスカが突撃してくる。
「ラナン様! 脱出いたしましょう。ここに長居は危険です」
「そうなのですか?」
「はい。正面玄関から何者かが侵入してきたと聞きます。狙いが何かはわかりませんが、ラナン様を含め、この屋敷の跡取りを拉致し、身代金を要求してくる可能性もあります。貴女様はすでに結婚が決まっており、身代金を要求するに値する女となりました。ここは私と共に逃げるべきです」
「そ、そうなのですか。わかりました。準備します」
「扉の外は警備用のゴーレムが徘徊していてとても危険です。こっそり武術の練習をしていた貴女ならこの部屋のどこかに戦闘用の装備を隠しているのではないでしょうか。それを身につけてください」
隠すも何も、残念ながらそんな能はない。クローゼットに放り込んであった革製の鎧と盾、村の鍛冶屋に指導を受けつつ自分で作った小さな斧を取り出す。
「本当に隠されていなかったのですね。その装備たち、流通しているものではありませんね。お手製ですか?」
「斧は、そうですね。鍛冶屋の娘と仲が良かったので作り方を教えてもらいながら自分で作りました。鎧と盾はこの家の倉庫からこっそり拝借した物ですね。案外いい素材らしく、そこそこ頼りになるものですよ」
一つくらいなくなってもバレやしないだろうという、なんとも甘い採算ではある。
「斧のデザイン、私は好きですよ」
アスカに褒められ、素直に礼を述べる。遠い異国の古事成語からとったとされるデザインで、蟷螂の斧をモチーフとした小さな斧である。重さに任せた力業はできないが、軽く、取り回しのいい頼れる武器である。
アスカが眼前にいるが、一応このメイドも高身長ながら女性ではある。とりあえず動きやすいズボンに履き替えてから鎧を身につけるべきである。さっと履き替え、鎧を身に纏う。盾と斧を持ち、準備は整った。
「行きましょう、ラナン様」
「えぇ、行きましょう、アスカ」
メイスを持ち、彼女が先導してくれる。
「アスカ、逃走ルートは決めてあるのですか?」
「地下に庭へ出る扉があります。表の庭に出てしまえば正門から出られるはずです。そこから脱出します」
「つまり、地下に向かうわけですね?」
「そういうことになります。行きましょう」
「私、この館の地下は全く知らないので、道案内をお願いします」
「お任せください。私が責任を持ってラナン様を案内いたします」
アスカが進む。ここは二階だ。地下まで降りるとなると1階をなんとかして抜けなければならない。彼女が何の魔法を使うかはわからないが、それはいずれわかるだろう。
部屋を出て、通路を東へ進む。一階へ行ける階段は真ん中のエントランスへ続く階段しかないからだ。しかし、階段付近は大きなゴーレムが道を塞いでいる。
「これでは進むに進めませんね。他に一階へ進む階段はなかったと記憶しています。ラナン様の部屋の北に位置している小部屋から裏庭に降りましょう。倉庫に縄の1本や2本はあるかと思います。まずはそれを回収しましょう」
「わかりました。それにしてもアスカ、とても手慣れていますね。昔にもこのような経験を?」
このような脱出劇をするのは、私にとって初めての経験である。このメイドにも、おそらく初めての経験であると、私は思ったわけで。
「いえ、私も初めてでございます。しかし、この屋敷のメイドは皆、緊急時に何をするのか、決められています。私はラナン様のお付きですので、ラナン様を脱出させることのみを考えればいい、というわけです。先週ラナン様が稽古の最中で数時間手が余ることがあったので、倉庫の在庫確認をしていました。そのため倉庫の中身を熟知していた、それだけでございます。元々あまり動じない性分ですので、顔に出ていないだけですよ。内心とても緊張しています。さぁ倉庫に向かいましょう」
アスカに手を引かれ、南の廊下へ続く通路を進む。手袋越しに伝わってくる手の温かみが今はとても頼りになる。南の廊下は一階の玄関ホールが見える吹き抜けがある。一階をちらりと見るが、たしかに玄関ホールは大きなゴーレム達で塞がっていた。
「五分ほど逃げ遅れただけでこんなに……」
「私が駆けつけるのが遅れたばかりにこんなことになってしまいました。申し訳ありません、ラナン様。これは始末書ものですね」
「いいのですよ、アスカ。他のメイドは私のためにここまで協力してくれなかったと思います。私も今頃部屋の中でビクビク震えていただけでしょう。それでもこうして脱出のチャンスを頂けた、それだけでもありがたいお話です。それに、」
「それに?」
「こうして、普段の稽古以外に、屋敷を自由に動き回るのは、なんだかとてもワクワクするのです。私、普段はあまり自由な時間がありませんので」
正直、いや、かなりの本音であった。不自由な生活を強いられ、嫁ぐための道具として育てられ、とても自由とは言えない生活を続けてきた。大きな屋敷に拾われただけあって実の両親に育てられるよりもかなり裕福な生活をしている。それでも、やはり、以前のような自由な生活を、私は求めているのかもしれない。
「私も、メイドをする前は実は冒険者を夢見て、しばらく冒険者として生活をしてきました。それなりに稼ぎましたが、将来のことを考え、自由を捨て、この屋敷のメイドとして働くことにしたわけです。それでも、たまにあの頃の自由な生活が恋しくなることは、あります。ラナン様の生まれを考えると、やはり自由な姿の方がお似合いだと私は思います」
いつもの営業スマイルではなく本心と思われる微笑みを見せるアスカ。それは一目惚れしてしまいそうな、大きな夏の花のような、そんな微笑みであった。いけない。お付きのメイドに惚れている場合ではない。まずはこの屋敷を脱出しなければ。
「いきましょう、アスカ。倉庫はもうすぐです」
「えぇ、いきましょう、ラナン様」
二人で廊下を駆ける。
3
吹き抜けの見える廊下が終わり、もうすぐ倉庫というところまで来た。ここは右に折れる廊下があるが、曲がらず直進をすれば突き当たりに倉庫が見えるとアスカが教えてくれた。倉庫はそう普段から行くものではないので彼女がいなければこの脱出劇は進まなかっただろうと改めて感じた。
しかし、そうは簡単に行くものではないらしい。右に伸びる廊下を見つつ先に進もうとしたその時、警報音が響く。
「侵入者の魔力を検知。侵入者の魔力を検知。排除します」
ゴーレムから声が発せられる。
「どうやら私たちを侵入者と勘違いしているようですね。ラナン様、構えてください。倉庫は狭いので、この巨体を相手にするのは分が悪いと言えます。ここで仕留めます。増援が来る前に仕留めて、さっさと裏庭に出ましょう!」
「わ、わかりました」
慌てて斧と盾を構える。彼女もメイスを構える。しかしなぜゴーレムは私たちを侵入者と勘違いしたのだろうか。それなりに精度の良い警備システムと聞いていたのに。
ゴーレムがこちらに走ってくる。アスカはというとゴーレムに突撃して、初撃を誘いつつ、そのままひらりと攻撃を避けてしまった。打撃を外して隙のできたゴーレムめがけて斧を振り下ろす。浅く入ったがこの武器では仕方のない話である。
「ラナン様、離れてください!」
アスカから指示が入る。ゴーレムから少し距離をとる。アスカが何かの詠唱をすると、ゴーレムに氷の塊が襲いかかる。魔法を受けたゴーレムによく見るとヒビができている。どうやら彼女は氷属性の魔法が専門らしい。おそらくヒビを狙えば大ダメージが見込めるだろう。怯んだゴーレムめがけもう一度斧を振り下ろす。予想通りというかなんというか、ゴーレムが呻く。かなりダメージが入っただろう。
「これで終わりです!」
アスカが大ジャンプをし、さらに大きくなったゴーレムのヒビめがけてメイスを振り下ろす。豪快な音と共にゴーレムの全身にヒビが伝わり、そして、砕けた。
「やりました! アスカ!」
「なんとかなりましたね。しかし、このゴーレムが破壊されたのを機に他のゴーレムが襲いかかってくる可能性もあります。早急に荷物を回収して北の小部屋まで戻りましょう」
ゴーレムの残骸の端を抜け、そのまま倉庫へ向かう。倉庫の鍵はアスカがなんとか開けてくれた。倉庫に入る。縄の一つや二つ、ここらへんに転がっているだろう。ただ、それが一階に届く長さかと言われるとまた別問題なわけで。
「ふむ……。アスカ! ありました。これではないですか?」
部屋の中を探索しているアスカに妙に長い縄を渡す。
「ラナン様、これです! これで脱出できます。行きましょう。その前に」
こちらをどうぞ、とアスカが私に大きな荷物を渡してくる。
「ウエポンホルダーと大剣です。ラナン様に今足りないのは一発の大きな火力だと私は判断いたします。小さな斧は確かに取り回しという面ではとても便利です。しかし火力が必要な場面でどうしてもジリ貧になる場面もあるかと思います。これでそれを補ってください。剣は背中の鞘に入れておけば問題ないかと思います。しかし斧と盾はウエポンホルダーがなければ地面に一度捨てなければなりません。倉庫に一つ予備がありましたのでお使いください。緊急時ですので細かいことはあまり言われないでしょう」
「ありがとうございます、アスカ。何から何まで」
「元冒険者としての勘、ですよ、ラナン様。さぁいきましょう。増援のゴーレムが来てからでは厄介です」
アスカに続き倉庫を出る。まだ増援のゴーレムは来ていないようだ。元来た廊下を走る。私は一応この屋敷の中でかなり足は速い方だと思っていて、実際街に出ても足の速さで困ったことはなかった。基本的に私が一番だったからだ。それでも、アスカは私以上の速さで廊下をかける。
「随分と速いですね。さきほどは歩きだったので気付きませんでした」
「一応、冒険者時代は軽戦士でした。軽戦士に求められるのは敏捷さと器用さ、そして体力です。見ての通り、足の速さは自信があります。なので敏捷さに物を言わせて避けることを重視した軽戦士をして味方の支援を徹底して行っていた、というわけです。普段から敏捷性ばかり鍛えていたのです。恵まれたことに知力も人並み以上にあったので、こうして氷属性の魔法も学ばせていただいたのです。魔法はこの屋敷に来てからも継続して研究しているので、最近では軽戦士以上に力を発揮できているかもしれませんね」
「貴女、実は相当な化け物だったのではないのでしょうか」
「いえ、実はそうではありません。筋力が人並み以下なのでどうしても火力に困る場面が多くありました。そこは持久戦をして、ワンチャンスを味方が掴むまでひたすら耐える、という戦法でした。安定はしていましたが、どうしても魔法に弱い戦法なので、仲間の誰かが死ぬ前に、ギルドを解散しました」
冒険者は殴りに殴ればなんとかなる、というわけではないらしい。
「しかし、貴女の話を聞けば聞くほど、冒険者に憧れるというか、そういう自由な人生を送りたかったな、と思います」
「この屋敷を脱出しても、ラナン様は嫁ぐわけですから、やはりどこかに縛られているということに変わりないわけですね。自由とはいえ、いいことばかりではありません。収入も安定しませんし。私のように少し強くなって元の生活に戻っていく人間も、一定数います。死と隣り合わせの生活は予想以上に疲れます。それでも、それが病みつきになると冒険者を続ける人間もいるわけですけれどね」
私はどちらかというと、病みつきになりそうな気がする。やはり、自由に憧れ、昔のような生活に戻りたいと、心のどこかで思っていたわけだし。
4
私の部屋の前まで無事に戻って来られた。まだ増援のゴーレムはこちらまで来ていないらしい。私の部屋の北側に位置する部屋は前から空室になっていて、あっさり扉が開いた。部屋に入る。中も特に変わった様子もなく、ただの空部屋であった。さっさとアスカと共に窓際まで行く。アスカは窓を開け、縄をしっかり柱に縛り付け、外に放り投げる。
「ラナン様、私が先に下に降ります。後から来てください」
「わかりました。お願いします」
アスカは軽い身のこなしで縄を使い、裏庭まで降りる。流石、敏捷さばかり鍛えていたと言うだけあって綺麗な身のこなしだった。私も人並み以上には動ける人間である。ここで格好悪い姿を見せるわけにはいかない。縄を掴み、するすると裏庭まで降りる。無事に着地し、アスカと目を合わせる。
「ざっとこんなものです」
「お見事です、ラナン様。これで一階に降りることができました。あとは館に入り、地下を目指すだけです。図書室から地下に降りる秘密の通路があったはずです。まずは館に戻り、図書室を目指しましょう」
「わかりました」
と、二人で歩き出した時だった。一階の大広間の窓から、巨大なゴーレムが飛び出してくる。
「侵入者発見。侵入者発見。直ちに排除を試みます」
小さなゴーレムが館に戻る扉の前に立ち、道を塞いでしまった。
「やるしかないようですね。行きましょう、ラナン様」
メイスを構え、前に立つアスカ。私も負けてられない。斧と盾を構える。
先陣を切ったのはやはりアスカであった。真っ先にゴーレムの懐まで潜り込み、メイスで殴りかかる。最初は取り回し優先で斧でいいだろう。アスカに続き、ゴーレムの左腕に切り込む。あまり深くは刺さらないが、致し方ない。
ゴーレムの右腕と左腕がそれぞれ襲いかかる。右腕はそのまま避け、左腕は盾で受け流した。ゴーレムの口が何かを唱える。すると足元に電気が発生する。
「ラナン様!」
アスカがこちらに駆け寄る。
「大丈夫。まだまだ立てます」
魔法に抵抗を試みたが、どうにも軽減するまでには至らなかったようだ。直撃したが、生憎、これでも頑強さがウリの女だ。この程度で倒れるわけにはいかない。
先の攻撃で気づいたが、腕の攻撃だけならば特に盾の力を借りなくても避けることができそうだ。ならば、少しでも早くこのデカブツを倒し、魔法を撃たれる回数を減らすのが吉だろう。盾と斧をウエポンホルダーにしまい、先ほどアスカからもらった大剣を構える。重いものではあるが、私の筋力にかかればこの程度、軽々振り回せるだろう。
アスカが動く。ゴーレムの左腕を避け、そのまま、左腕に着地。頭の部分まで駆け上がって行った。後に続く。振り落とそうと振り回す左腕を避け、右腕に大剣を振り下ろす。その重い一撃は右腕に大打撃を与えることに成功した。まだゴーレムはアスカを振り下ろすことに夢中らしい。当のアスカは左腕の上で器用にバランスをとり、頭の近くまで登りつめていた。頭にゼロ距離で魔法を打ち込む。ゴーレムが揺らいだ。さらに大剣で一撃を入れるチャンスだろう。振り下ろした大剣をそのまま振り上げ、叩き下ろす。振り上げた大剣はゴーレムの右腕を抉り、そのまま粉砕した。頭に魔法を打ち込んだアスカがそのまま私の横に着地する。
「あとは左腕と頭を粉砕すれば機能が停止するはずです。この調子で解体して行きましょう」
「わかりました」
大剣を構え直す。重いだけあって力任せに振り下ろすだけでもそれなりに打撃を与えることができる。あと少しで解体作業も終わることだろう。
その時だった。頭が魔法を唱えると、崩れた右腕が小さなゴーレムの形になった。
「ふむ、新手のゴーレムですか。どうやらこのゴーレム、相当やり手ですね。油断せずに行きましょう、ラナン様」
「わ、わかりましたわ」
当たり前の様に言われても、私には魔法の知識は毛頭存在しない。何が来る等はさっぱりわからない。来る攻撃は気合いで耐えるのみだ。ただし、わかることが一つだけある。敵の数が増えた以上、今までより周囲を警戒する必要がある。視界外から殴られてはたまったもんじゃない。
「ラナン様! 私は先に大きい方の頭の破壊をします。ラナン様はそちらの今できた小さい方のゴーレムをお願いします」
そう言われては私は小さい方の相手をするしかない。彼女の方が戦場での経験値は圧倒的に上なのだ。彼女の指示に従うのが一番正しいだろう。一度距離を離したらしいアスカが私の背後に近づく。
「私の背中、任せましたよ、ラナン様」
「こちらこそ、任せますよ、アスカ」
お互い別々の相手と対面する。彼女が背中についていれば安心だろう。そう考えるとすっと気持ちが落ち着く。目の前の相手に集中できる。大剣を構える。さきほど製作されたゴーレム。即席で作ったゴーレムが通常のゴーレムと比較してどれほど違いがあるのか、様子を見るべくどっしりと構えて待つ。さてどう攻めてくるか。
石の体を活かしてこちらに突撃を仕掛けてきた。こちらはというといつ攻撃が来てもいい様に全力で警戒をしていたので、特に問題もなく避ける。右腕による大振りの攻撃だったので隙も大きかった。大剣による振り下ろしをぶちかます。追撃を仕掛けようかと思ったが、相手が口を動かしていたので下がる。なにがくるかわからないが、魔法を仕掛けられては守りに専念しなければならない。マナの塊がこちらに飛んでくる。なんとか大剣を使い、軽減することには成功したが、それでも魔法は体を蝕む。一瞬の怯みが次の相手の一撃を誘う。左腕による高速な裏拳が襲いかかる。大剣で受け止めることもできずに脇腹に刺さり、吹き飛ばされる。
「ラナン様!」
アスカの叫び声が届く。
「わ、私はまだ立てます。貴女はまずは目の前のゴーレムの相手を」
気合いで立ち上がる。少々強烈な衝撃が走ったが、終わってみればちょっとした衝撃だ。この鎧の頑丈さと自分の体の頑丈さに改めて感謝し、大剣を構え直す。
ふと考えれば、一撃は入れられたのだ。大剣をしまい、盾と斧をとりだす。タイマンを張るならばこちらが有利だろう。やはり軽くてこの斧は取り回しやすい。
今度はこちらから仕掛ける。魔法攻撃があるとわかった以上、相手のマナが切れるのを待つまで粘るのもいいかと思ったが、いくら頑強な私でもそれまで体が持つ保証もない。仕掛けられる時に貪欲に攻めるべきだ。さきほど大剣で殴りつけた右腕を狙いすまし攻撃をする。相手も何度も喰らうわけにはいかないことがわかっているのか、全力で攻撃を避ける。しかし一発目を大きく避けたゴーレムには一瞬の隙ができた。このチャンスをみすみす逃すわけにはいかない。振り下ろした斧を振り上げつつ、一歩踏み込む。斧は正確に右腕の先ほど負傷した箇所を貫く。そのまま右腕を破壊する。悪あがきなのか左腕の裏拳をもう一度仕掛けて来たが、盾で受け流す。盾さえあれば被害は大きく軽減できる。攻撃して来た相手の勢いを乗せ、そのまま蹴りでクロスカウンターを決める。相手の後頭部にブーツの踵が襲いかかる。吹き飛んだところを斧と盾をしまい、大剣を振り下ろす。ゴーレムは真っ二つになり、そのまま動かなくなった。
「な、なんとかなりましたわ……」
後ろを振り返ると、アスカが一人でゴーレムの解体を完了させていた。ただのガラクタの塊になっている。私が見ていない間に何があったのだろうか。
「ラナン様、無事に完了しました。さぁ行きましょう」
裏口の扉を塞いでいたゴーレムも気づいたら石ころに戻っていた。さきの巨大なゴーレムが呼び出したのだろう。
5
裏口から屋敷に戻る。そのまま廊下を進む。たしか、図書室にある秘密の通路を使い、地下に忍び込むという話だったはずだ。
図書室に入る。元から静かな図書室ではあるが、無人の今の図書室はさらに静けさが際立つものであった。
「こちらです、ラナン様」
アスカの誘導に従い、図書室の奥へ進む。彼女は一つの本棚の前で止まった。
「ここです。この段の本をすべて取り出すと」
話しつつ、テキパキと本を取り出すアスカ。そして本棚の裏側の壁を開けると、そのまま隠されたスイッチを押す。するとガラガラと本棚が動き出し、通路が現れた。
「このように通路が出て来ます。このまま階段を通り、地下に行きましょう」
「まるで迷宮ですね。こんな仕掛けがこの図書室にあっただなんて」
「この段の本をすべて取り出さないとスイッチがみつからないように魔法がかかっています。念入りに探索するか、知っている人間ではないとなかなか気づくものではないですね」
「こういう仕掛けが迷宮や遺跡にはたくさんあるのですか?」
「たくさん、ではありませんが、それなりにありました。私が見て来た遺跡にはここのように旧時代の図書室のようなものから、御伽話に出てくるような遺跡もありました。旧式の罠から数百年前のオーパーツが残っているような遺跡もありました」
通路に進みながらアスカが話す。続きつつ彼女に質問を投げかける。
「オーパーツ?」
「はい。ゼンマイ仕掛けの大きな機械や、電気を流すと動き出すバイク等、とても興味深いものがありました」
「この世界で主流のバイクの原動力はマナ、でしたっけ」
「そうですね。そういえば、ラナン様の両親はバイクのマナ不良による爆発に巻き込まれたようですね」
「私もよくわかりませんが、そのようです」
「心中お察しいたします。若くして両親に他界されて」
何度も思ったことがある。両親はどうして私を残して死んでしまったのだろう、と。不慮の事故とはいえ、どうして私の両親が犠牲にならなければならなかったのだろう、と。
「しかもですよ。私の両親がバイクに乗っていたわけではなかったのです。たまたま整備不良のバイクのすぐ近くを歩いていた、それだけで、両親は爆発に巻き込まれて、粉々になっていしまいました。両親以外に身内もおらず、わけもわからないまま孤児院に引き取られました」
アスカは黙って聞いてくれている。私も話を続ける。
「孤児院に引き取られたと思ったらしばらくして、この屋敷に引き取られて、わけもわからないままこのような生活を強いられていました。私はただ、両親と笑いながら、優しい家庭で自由に過ごしたかっただけだったのに」
一通り、話したいことを話してしまった。しばらくしてアスカが口を開く。
「この屋敷に勤めて約二週間ですが、ラナン様の扱いの、地位の低さにはほとほと呆れます。屋敷の誰もが、貴女のことを政略結婚の道具としてしか見ていません。他のメイドもそれが当たり前という顔をしています。仮に道具だとしても、どうしてここまで雑な扱いができるというのか。本物の娘がいるからといって、幾ら何でも雑すぎやしないか、何度も思いました。ラナン様には嫁ぐよりも、この屋敷を出て、外の世界で自由に生きて欲しいと、私個人は思います」
「アスカ……」
「無理なのは百も承知、ですけれど、ね。とりあえず今はこの屋敷を脱出しましょう。ラナン様の脱出経路を用意してくれないようなこの屋敷に固執する理由も、私たちにはないような気もいたしますが」
6
通路を抜け、ついに地下に到着した。
「ラナン様、ここからがこの屋敷の地下になります。薄暗くなりますので注意してください。まずは東へ向かいます。その後、北に伸びる通路を進み、非常口を目指します」
北? それだと裏庭の方にさらに奥に抜けてしまうのではないだろうか。それともそんなに複雑な地形を、地下はしているのだろうか。私にはわからないことだらけであった。
彼女の誘導に従い、通路を進む。たしかに地上の廊下と比べて圧倒的に薄暗い。こんなところを夜中に一人で歩けと言われたら嫌だと返しそうなものだ。
通路を進み、突き当たりまで来た。最後の扉があるが、鍵がかかっていて、進むことができない。横に扉の鍵をかけていると思われる装置があり、アスカが操作をしているが、難航しているようだ。
「ラナン様、こちらの装置、どうにもこの屋敷の人間の手形が必要なようです。それにより魔法が解除され、先に進むことができるようです。新人の私の手形がまだ登録されていなかったようで、扉を開けることができませんでした。ここに手をかざしていただけますか」
「え? そのくらいならば」
装置に手をかざす。あっさり鍵が解除され、扉が開いた。その時だった。
「動くな、二人とも」
後ろからお義父様の声が聞こえる。
「お義父様もこの先の非常口に用が?」
呑気に返事をする私。しかし彼の一言は私の想像を絶するものであった。
「なに馬鹿なことを抜かしているんだお前は。その先は非常口などではない。非常口ならば南の通路を東に進まなければならない。その先は我が一族の者しか入ることのできない、秘密の部屋だ」
「え……?」
秘密の……。部屋? なにを言っているのだろう、お義父様は。
「お前はこの屋敷に忍び込んだらしいそのメイドに、もはやメイドですらないが、まんまと騙され、そいつの侵略行為を手伝っていただけだ。本当にお前は容姿以外は無能だな」
「お義父様、そんな、私は」
「貴様のような無能な小娘の言い訳を聞くつもりは毛頭ない。しかし慈悲深い私だ。最後に一つだけ提案をしてやろう。今その扉を閉め、武器を捨てこちらに戻って来てくれればこの罪を許し、結婚までこの屋敷での安全を保障しよう。それ以外の行動をとれば問答無用で勘当だ。無能なお前に選択肢はないと思うが」
「私は……」
扉を閉めかけた時、今まで黙っていた私の前に立つアスカがニッと笑い、突如として口を開いた。
「さーて、その小娘を無能に仕立て上げたのは、どこのどいつだったかな?」
「なんだと、口を慎め、メイドよ。貴様なぞ」
「黙れよ、あたしの話はまだ終わってないぞ。それともなんだ? お前はガキの頃、人の話は最後まで聞けと教えてもらわなかったのか。哀れな男だな」
優しい言葉で、物腰で話してくれたアスカが、まるで別人のような顔で、話し方でお義父様と話をしている。
「聞けラナン、お前はこの家に居ても未来はない。碌な教育を受けさせてもらえず、庶民ですら知っているような知識ですら、お前は持ち合わせて居ない。それはお前が無能だからじゃない。無能になるように教育をし続けたこの家の体系に問題があったからだ。それならば、少しでも未来のある冒険者になり、少しずつでいい、賢くなって、気高き戦士になって、自分の未来を見つけ出せ。そのためにはこの屋敷に居てはいけない。ここまできてしまったんだ。あたしを信じろ。出るためにはこちらに付いてきた方がいい」
これまでの私の人生を考える。お義父様には確かにお世話になった。しかし、それはこの家にいなくても、他の貧しい家に居ても同じだっただろう。この家より金銭面は困るかもしれない。しかし、この家より確実に暖かい家庭であり、それこそ実の家族のように愛してくれる、そのような人間と過ごす未来だったのかもしれない。このまま私を人形としか考えていない、お義父様の元に戻ると、結局私は人形として、一生を終えることになるだろう。
ここに至るまでにアスカが話してくれた冒険者としての、自由な生活を考える。仲間と共に戦い、自分の生活のために、時に命を賭けて戦う。先ほどのゴーレムとの戦いのように、大変なこともあるだろう。しかし、やはり、私は、実の両親と生活していた時のような、自由な生活が、欲しい。
この家での安全で安定かもしれない生活よりも、自分の自由を求め、外の世界へ旅立つ決意を、私は決めた。
ならば、あとは単純である。扉を開け、中にアスカを誘導する。
「貴様! 何処の馬の骨かもわからない女に惑われおって」
お義父様がこちらに魔法を唱え用とした時だった。彼との間の天井が突然壊れ、上の大広間が見える。どうやら上の部屋にいるゴーレムが床を殴り、穴が空いたようだ。空いた穴から瓦礫とともに使い魔と見られる烏が降り来、こちらに飛んで来た。
「ハルナ! 時間は稼ぎました! 急いで扉の中へ」
アスカと共に扉の中に入ってくる。そのまま使い魔はアスカの肩に止まる。ハルナ……?
「すまない。ラナン、こんなことに巻き込んで。ポコが時間を稼いでくれたから今のうちに本当のことを話そう」
「よくわかりませんが、お願いします」
「時間を稼いではくれたが、時間がないから手短に話そう。あたしの本名はアスカではない。本当はハルナという名なんだ。この先に用事があって、お前に近づいた。お前が一番簡単に近づけ、さらに簡単に騙せてそこの扉を開いてくれると思ったからだ」
とんでもないことを告白された。アスカに……。いや、ハルナに。
「つまり、私を利用してここに来たかったわけですね」
「あぁ、そういうことになる。身勝手なことをしている自覚は勿論あったし、お前の人生を歪めかねないことをしているとも思っていた。しかしここに安全に入り込むにはこれが一番だったんだ」
「本当に身勝手なことをしてくれましたね。お陰様で私の結婚計画は無くなってしまいました」
「そのことについては本当に申し訳ないと思っている」
ハルナが頭を下げる。
「ただ、」
一呼吸置いて、続ける。
「貴女との交流が、偽りの関係の間でしか成し得なかった、幻想の物だったとしても、私は貴女のおかげで、自分のやりたかったこと、なりたかった者を思い出すことができました。それについては感謝します。貴女はメイドとして私と沢山話してくれた。それが、ここ最近の私の楽しみでもありました。それから、二階で貴女と話した時の微笑み、あれが偽りの貴女の顔とはとても思えませんでした。私が無能ではないと宣言してくれた、揺るがぬ決意を与えてくれた貴女を、私は信じます。そして、これから貴女を師として、生きて行きたいと、私は思いました。行きましょう。この先にハルナ、貴女の用事があるのでしょう? この屋敷を出るまではお手伝いしましょう」
決意を胸に、ハルナの後ろをついていく。
「いろいろあって紹介が遅れましたが、私、ハルナの眷属のポコと言います。どうかお見知り置きを」
ハルナの肩の上にいる烏がこちらに話しかけてくる。ハットをかぶってとてもお洒落な烏である。
「すでにハルナから聞いたと思いますが、私、ラナンと言います。これからよろしくお願いしますね。おしゃれなハットが似合っていますね」
「先日出会った男性の影響を受けましてね。自分で作ってみたのですよ。似合っていたようならば光栄です」
オシャレなのは良いことだと、私個人は思う。ところで、
「ポコとやら、この屋敷に侵入したのは貴方ですか」
ハルナの眷属と名乗る烏に話しかける。
「はい。私です。そこのハルナがこの屋敷に就職してからだいたい二、三週間くらいでこの屋敷に突入するように言われていました。そのため、今日を選び、この屋敷の境界線を超えたわけです」
「ハルナにも警備装置のゴーレムが反応していましたが、それは貴方がハルナの使い魔だからですか」
「多分そうなんじゃないかな、と私は思います。ハルナと私は現在は、ほぼ二人で一人の存在です。この世界で言う使い魔のような存在ですからね。だから体から発する魔力もほぼ一緒なのではないかと」
「ポコ、それだとあたしがこの二週間ゴーレムに襲われなかった理由がわからないじゃないか」
「これから話しますよ。この屋敷の警備装置、実は屋敷の庭の外と中の境界面でしか侵入者の検知を行なっていないのですよ。就職してから一度も屋敷を出ていないハルナは警報装置に引っかかることなくずっと内部で生活していたので、今日の今日まで襲われなかったわけです。私が境界線を超えたことで、私と同じ魔力を発するものを襲うようにゴーレム全体に指示が飛ばされました。そのためハルナも襲われるようになったのかと」
なるほど、よくわからない。とりあえずこのポコという烏がなにか悪さをしたからハルナも襲われるようになった、と。
「屋敷のゴーレムに追われつつ、一階の施錠された扉を開けて回るのには苦労しましたよ」
「え、貴方が開けたのですか」
「はい。私です。さらにタイミングを見計らってゴーレムを使って床に穴を開けさせて貴女達の退路を作りました。さっきのあれですね」
何から何まで、裏方をこの烏一人でやっていたのか。なんていうか。
「ありがとうございます」
それしか言えなかった。
「いえいえ、普段からこう、裏方に徹しているので。慣れてますよ」
とんでもない相棒を持つ女だったようだ、このハルナは。
「そろそろ後ろの瓦礫処理も終わっただろう、行こう。この通路の先だ」
雑談も終え、通路を進む。この通路の先に、ハルナの求めていたもの、そして私の最初の試練がある。
7
通路を抜け、長い下り階段を抜けた先は、何かの施設だった。
「これは……。研究室のようですね」
ポコが呟く。この施設が研究室だというのだろうか。
先を行くハルナに続く。研究室の最奥についた。そこには広場と、いくつかの本棚があった。ハルナが本棚に近づき、中身を確認する。
「あった。これだ。これを頂きにきたんだ」
ハルナが呟く。それは?
「あぁ、これはな」
「私が説明してあげましょう?」
ハルナの声に対して、奥からお義母様の声が遮る。全くどいつもこいつも人の話を遮るんだから、とハルナがぼやく。
「ラナン、貴女には失望したわ。まさかそんな通りすがりの女の発言程度で心を取り戻してしまうだなんて。もう少し単純な女だと思って居たのに。まぁいいでしょう。いまさらどうこう言った所でもう貴女はこの屋敷から出て行こうとするんでしょう? でも、その本を持って出て行こうとするのであれば、残念ながらここで殺すしかないわ」
「そんなに、その本は大事なものなのでしょうか?」
「えぇ、そんなに大事なものよ。だって私の生涯二百年の研究に関わる研究レポートなんですもの」
「二百年?」
思わず変な声が出る。パッと見、私のお義母様は二十代前半の年と言われてもわからない美しい外見をしている。実際は四十歳前後という話を聞いている。その若さの秘訣は健康的な生活だといつか豪語していた気がするのだが。
「健康? 食生活? そんなもので若さが保てたら誰も苦労しないわ、ラナン。そんなもの建前よ。本当は、この二百年、自分で作った体に自分の魂を入れていたの。そう、それがこの二百年、私が研究していた魔法よ。私は人の魂を体から出し入れする魔法を研究をし、それを実際にできる環境を整えたの。永遠の若さを手に入れるために。そしてここ百年は自分で肉体を作る技術も完成させ、この体が老い始める前に新しい体に魂を入れている、というわけ」
「では、ハルナも永遠の若さを手に入れるためにこの研究を盗み出すつもりで?」
横にいるハルナに尋ねる。
「バカ言え、そんなもんじゃない。どうせあたしは不老不死だ。いかんせん、死神だしな。この世界では死した肉体を毛嫌いする、平たくいうと私みたいな死神の体を毛嫌いする慣習がある。だから、その女が研究していた魔法に目をつけた。その女の魔法を使えば、あたしは肉体を取り替え、穢れのない状態でこの世界をうろつけるからな。そこでこの部屋に入る手段を探していたというさっきの話に繋がる」
「でもこの魔法は世界の秩序を乱すわ。だから私以外に知られてしまうと、大事になり、いずれ禁止されてしまう。神父あたりが黙っていないでしょう? だって本来死ぬはずだった魂を、死ぬことなくこの世に留め続ける技術なんだもの。だから私だけのものにしたいの。そうだわ、そこの死神さん、私のために肉体をくださらない? そうすれば私はこんなにも苦労をせず、不老不死を得られるわ。貴女、それなりにいい体にいい顔をしてるじゃない? それなのに不老不死だなんて、ずるいにもほどがあるわ」
「悪いがこの体はあたしのものだ。お前の玩具として譲る気は毛頭無い」
「そう、それは残念ね。ならば、ここで殺しちゃおうかしら」
そういうと、お義母様は、何か魔法を唱え始める。
「貴女たちがこちらに向かっていると夫から聞いていたからその間に今の体に変えておいたの。こちらの方が戦いやすくってね」
そういいつつも彼女の体は少しずつ発火を始める。服ごと燃やす。そのまま、身体が露わになりつつ、こちらに近づいてくる。
「どう? このまま貴女達も燃やし尽くしてあげる」
指から炎を飛ばしてくる。魔法の類だろうか。なんとか避ける。
「くそ、このメイド服は燃えるんだ、めんどくさい」
ポコがハルナから飛び立ち、上空で様子を見るべく旋回を始める。私の鎧は耐魔法加工をしてあるからある程度は燃えないはずである。流石に魔法を軽減するほどの素材は使われていないと思うが。
「ポコ、あまり近づきすぎるなよ、お前まで焼き鳥になるわけにはいかないからな」
「貴女こそ、火葬はご勘弁ですよ」
軽口を叩き合いながら二人が会話をしている。
お義母様がこちらに走り寄ってくる。炎を纏った足で回し蹴りを繰り出す。盾で受け流しつつ、斧で反撃をする。鉄製の盾で良かったと改めて思う。
「燃えなさい!」
足元から火柱が立つ。抵抗を試みるも、虚しく、火達磨になる。
「ラナン!」
ハルナが魔法を唱え、火柱に氷をぶつけ、相殺する。
「助かりました」
「余裕綽々って感じだな。底なしの体力かお前は」
「その余裕、いつまでもつかしら?」
今度はハルナの方に火炎放射が飛ぶ。彼女は自分の影から何やら楽器を取り出すと、その楽器の音に合わせてシールドを張った。彼女は氷魔法だけでなく、異国の魔法も使いこなせると言うことなのだろうか。
何はともあれ、ハルナに気を向けている今がチャンスである。お義母様に走り寄る。走りつつ、装備を大剣に替える。そのまま大きく跳躍し、脳天めがけて大剣を振り下ろす。
「甘いわ、ラナン」
お義母様に近づいた時、彼女の近くから火柱が立つ。どうやら接近したことに反応して火柱が立つ仕組みだったようだ。しかし甘いのはお義母様の方ではないだろうか。カウンター魔法に抵抗する気は無い。歯を食いしばり、炎に焼かれつつもそのまま脳天に気合いで大剣を振り下ろした。脳天に大剣の刃筋とその重さが直撃したお義母様は大きく吹き飛ばされる。
「ラナン! あまり無茶をしては危険です」
上空からポコがこちらに飛んでくる。そのまま何かを唱えると周囲に黒い旋風が巻き起こり、炎を消してくれる。
「たしかに、少し無茶をしたかもしれませんね。でも、これで大ダメージが入りました。行きましょう。このまま短期決戦にもつれこませたいと思います」
「私たち二人は短期決戦を仕掛けられるほどの技があまり無いのですよ」
「ポコ、お前が想定していない技で一つ、火力が出せる技がある。ラナン、前に出てくれ。ポコはラナンの支援に。鎮火作業や攻撃を引き寄せたりしてくれ」
「ハルナ、貴女は?」
後衛、ということだろうか。
「後ろから狙撃銃で狙撃する」
「貴女、そんなものが使えたのですか?」
相棒のポコすら知らなかったのか。私もここ二週間彼女と共に行動をする機会が何度かあったが、そのような気配はなかった。今日もずっと私と共に前線に立ち続けてくれた。
「あぁ、お前と出会う前に練習しててな。拳銃と狙撃銃なら使えるよ。普段は前を任せられる人間があまりいないから自分が前に出るが、今回はこれが一番だろう」
もっとも、そのうち狙撃銃ではなく、魔法が主力になるかもしれんがな、と付け加えるハルナ。
「作戦が決まりましたね。私が前に出ます。支援をお願いします!」
お義母様に近づく。わかりました、了解、と二人がそれぞれ返事を投げかける。後ろでどっしり構えるハルナと、私よりさらに前に出て上空から様子を見るべくポコ。頼りになる二人である。私はお義母様を後ろに通さないこと、少しでも早く終わらせるために貪欲にダメージを狙っていく必要がある。
「あら、私相手に一人で前衛だなんて、なかなか度胸があるじゃない?」
「私一人で貴女を止めてみせます!」
先手を取ったのはお義母様であった。炎を纏った拳で殴りかかってくる。盾を使い受け流す。続けて左腕による裏拳が迫る。その場にしゃがみ、姿勢低くすることで避ける。
避けた直後、轟音が後ろからして、お義母様が呻き声をあげる。ハルナが狙撃銃で撃ち抜いたようだ。
「その銃、この世界の銃とは思えないわ。オーパーツにも鉛玉を高速で飛ばす技術はなかったし。面白いわ」
斧で怯んだお義母様に追い打ちをかける。お義母様が言っていることはよくわからないが、とにかくハルナの一撃は彼女に有効ということだけわかれば今は十分だった。
「まずはそこのメイドからよ。貴女がいるとラナンを倒しても先にこちらが死んでしまうわ」
ハルナに火炎放射が襲いかかる。しかしその途中には黒い風が起こっており、ハルナに炎が襲いかかることはなかった。
ハルナを指差す右腕に思いっきり斧を振り下ろす。深く刺さったらしく、そのまま右腕を切り落とした。さらに轟音がして、彼女の左足が吹き飛ぶ。ここがチャンスとポコが両目を足で抉り取る。
「これで終わりです!」
脳天に斧を振り下ろす。しかし、目も足も腕も不自由な彼女は最後の力を振り絞り、左腕で斧を受け止め、そのまま刃を掴む。
「絶対に逃がさないわ! この身が果てようとも、貴女たちはここで殺す!」
そのままお義母様の体が大きな炎に包まれる。
「ラナン! こっちに走れ!」
後ろからハルナに声をかけられる。斧を奪い取り、ハルナの方へ我武者羅に走り出す。後ろから爆発音がしたかと思うと、体が何かに包まれる。その後、大きな炎と共に衝撃に襲われた。
8
体の痛みと周りの熱が落ち着いた頃、体を起こす。奥の本棚は耐熱加工がしてあったようで、なんとか無事そうだった。周囲を見回す。後ろで倒れている黒焦げの人物がいることに気づく。疑いようが無いだろう。ハルナだった。
「ハルナ! ハルナ! あぁ、そんな……」
ハルナ、私を庇って、そんな。
「なんとか、生きてるよ。爆発に巻き込まれるわ、抵抗できずにもろに直撃したわ、散々だけどな」
黒焦げの顔はすでに再生されているようで、先ほどまでの顔に戻っていた。メイド服の方はボロボロで、見るも無惨な姿であった。左腕は直撃の影響か、肉が完全に焼け切り、骨だけになっている。安全地帯からポコが降りてくる。
「ハルナ本人ではなく、メイド服が全焼しましたね」
「アホなこと言ってないでいつもの服を用意してくれ。流石にこの姿は風通しがよすぎる」
ハルナが立ち上がった衝撃でばさっとメイド服だった布切れは力尽き、すべて落ちてしまった。
どうやら左腕の肩から先が骨だけのようだ。しかし骨だけにもかかわらず器用に動かしている。
「なんだラナン、あたしの裸体に惚れ惚れしてるのか?」
なんてことを聞くんだこの人は。私よりは胸が小さいかもしれないが、たしかにそのスタイルでその胸の大きさはかなり……。そうじゃない。
「いえ、その、腕が」
「あぁ、こっちか。昔いろいろあって、利き腕は骨だけなんだ。まぁ、うん」
バツの悪そうな顔で下着に腕を通すハルナ。これ以上深追いはしない方がいいだろう。
ハルナがピンクのワイシャツやらグレーのスカートやらブレザーやらを身につけるのをぼんやり眺めている。私の服や鎧はハルナが庇ってくれたおかげでほぼ無傷である。着替えを終えたハルナはスタスタと本棚まで近づき、目的の物を回収している。ポコは実験の道具を回収してきたらしく、大きなカゴに大小様々な素材を入れて戻ってきた。
「ラナン、これであたし達の目的のブツはすべて回収した。表まで一緒に行こうか。大丈夫、非常口から外に出るだけだ」
「えぇ、行きましょう。私も門の外までは一緒ですから」
ハルナに続いて歩く。そういえば。
「ハルナ、貴女はここを出たらどうするのですか? 冒険の話をいろいろしてくださいましたが、今思えば冒険者だったとも思えませんし」
「残念ながら冒険者を経験したことはないな。この後は一度自分の世界に帰るよ。こちらも持ち込む必要のある道具もあるしな。そのあとはこちらの調査のために拠点を探す」
「自分の世界?」
「元々この世界の人間ではないからな、あたし達は。所謂異世界人というやつだ。調査の前準備としてこう忍び込んできただけでな。準備もいろいろあるわけだ」
「よくわかりませんが、そのうちこちらに戻ってくることはわかりました」
非常口の扉を抜ける。日が傾き始め、日没が近そうだった。正門まで歩く。
「私はこのまま村へ行き、冒険者の店に行きます。そこで冒険者として、自由な生活を、自分の未来を決めて行こうと思います」
本当は、その時隣に貴女がいて欲しかった。しかし、それは叶わぬ願いだろう。自分の未来は自分で切り開くしかない。
「あぁ、お前の未来はお前自身で切り開くんだ。あたしが隣にいてもいいかもしれないが、しばらくは一人でやった方がお前のためだろう」
たしかにそんな気もする。それならば。
「私は強くなって、気高き戦士となって、貴女の元に戻ってきます。その、約束のためにこれを……」
ポケットに入れてあった予備の水色のシュシュを、約束を乗せてハルナの手に握らせる。
「必ず! 貴女の元に、心身共に強くなって戻ってきます、だから……!」
ハルナがこちらを見ている。一言一言、力強く話す。
「それまで、私を、私を……。待っていてください……」
しばらく黙っていたが、ハルナはあぁ、と話し出す。
「お前の決意、確かに伝わった。この約束のシュシュもたしかに受け取った。お前が強くなった頃、またお前の前に現れよう。それまで鍛錬を怠らないようにな」
正門についた。私は村の方へ。ハルナは村の反対側の山の方へ。
「じゃぁな」
「また会いましょう」
「では、また」
三者三様それぞれ挨拶を交わし、目的地へ向けて歩き出した。