トラウマの話

昨日に引き続いてアレな話題ではあるが、トラウマの話。

ことの発端は熊本地震がトラウマになったという小学生の話をテレビで見た時。詳しくは見ていないのだが、当時の地震がフラッシュバックして云々という話をしていた。小学生という多感な時期に強烈な地震に見舞われたらトラウマになるだろう。私が人生で体験した一番大きな地震は東日本大震災で、遠く離れた関東だったにも関わらず強烈に揺れたのを今でも覚えている。当時たまたま家にいた私であるが、大慌てで家の扉を全て開けて回ったものである。あれ以降地震というものがやはり恐ろしいものだなと高校生ながら慄いた記憶があるし、当時高校生の私でこれなら小学生にとってどれほどの恐怖だったか、ここで語るまでもないだろう。

私は地震がまだトラウマというほどのものにはなっていない。せいぜい気をつけよう、程度のものである。本能のままに体が恐怖を感じる、そのような出来事にはなっていない。しかし、私にはそのようなトラウマが一つだけある。電車の汽笛だ。在来線が出すようなあのでかい音。あれにとてつもない恐怖を覚える。もちろんそれ相応のエピソードがある。

大学生の頃の話である。恥ずかしい話なのだが、大学生の頃の話である。空いていた先頭車両に乗っていた私はルンルン気分で座りながら帰路についていた。夕方17時とかだったので電車もいい感じに空いていた。というか空いている電車を選んで帰宅していた。普段ならば何事もなく通過するはずの駅で、それは起こった。突然鳴る警笛。全く止む気配もなく、ずっと鳴り続けていた。そう、人身事故である。私の乗っている車両で人身事故が起こった。詳細は話さないでおくが、その駅は路線の中では飛び込みが多いことで有名な駅だった。駅の途中で電車が止まり、処理が終わるまで扉は開かない。ずっと鳴り止まない踏切の音。ただただ悪夢のような時間だった。それ以降、私は電車の汽笛を聞くと本能的にその出来事を思い出し、体が竦む。今でも肝が冷えたような感覚が起こるため、相当なトラウマになっていると思う。

何を大げさな、そう思われるかもしれない。しかし、そういったことがトラウマになる人がいる。私はその一人である、という話。

シェアする

フォローする