寂しいんだよ悪いか。
いきなり生活の半分以上を依存していた人が欠けたのでショックが大きい。隠しながら強く生きていこうと思っていたが、無理。やめた。やめやめ。素直になろう。普通に寂しいんじゃ。
寂しい時くらい大丈夫なんて言わないで、ちゃんと寂しいって言いなさい! 人の痛みがわからない王様になっちゃうぞ!
っていう特撮出展の名言がTwitterに流れてきて、自分の感情を隠すことをやめた(元ネタはわからぬ。すまん)。私が悪いことは確かだし、元カノをたくさん悲しませてきたけど、やっぱり好きなものは好きだし、悲しいものは悲しいし、寂しいものは寂しいんじゃ! という話。わかった上で開き直って少しずつこの寂しさと向かい合っていこうと思ったというのが今回の話。
さて、寂しさと向かい合うとなると何が必要か。私にはわかっている。人の温かみだ。前までこれを元カノの精神と肉体に完全に依存しきっていたため、なくなった瞬間に崩壊した。いやだって好きな人の胸ですやすやお昼寝してたら、2人で手を繋いで散歩してたら寂しさなんて全部癒されるじゃん……。というわけで最近は意図的に家族とテレビを見るようになった。1人でニコニコ動画を見て少しずつ寂しさに慣れていくのもいいかなと思っていたが、実家なんだからはじめから家族とのんびりテレビ見ながら少しずつ寂しさと向かい合っていこうという話。これが結構効いてて、昨日も夜死にかけていたのだが、家族とほんわかテレビ見てたらだいぶ元気になった。
心に陰を落としながら罪悪感片手に強くなっていくのがいいのかなと思っていたが、この10日ほどでそれだと一瞬でフラッシュバックして終わりだということにも薄々気づきはじめていたし、何よりそんな哀しき獣みたいな男になってたら元カノどころかどこの女も振り向いてくれないじゃん。せっかく高校〜大学にかけてポジティブ精神を培ってきてここまで明るい男になれたんだから、家族に甘えつつもう一度明るい「けねでぃ」を演じられる体に戻って行こうかなと思った。
二十代も折り返しになり、両親の人生も定年退職という一つの区切りが現実味を帯びてきている。終活も現実的な話になってきていはず。そして私もこれを機に一人暮らしを初めようかなといろいろ考えはじめている。ならば、一人暮らしを初めるその時まで、少しだけでも親と過ごすのがいいのかな、と思ったりした。
ちなみに一人暮らしを初めようと思った理由は不純で(また今度まとめようかなとも思う)
- 人生経験(1人で生活して料理作れるようになるんだ1人で暮らせるようになるんだかっこいいだろ
- 元カノに振られたのでリセットも兼ねて(住んでる所が近すぎるんじゃ
- 復縁できなくても女連れ込みたいし……
- 復縁した時に家に連れ込めないと不便()