熱い自分語りの回。ブログを再開して自分の心境に少し変化が訪れたため、それを言葉にしてみよう、という話。
何度目かわからない自己紹介になるが、私は自分語りが苦手である。大学の付き合いが深い友人にすらプライベートの話ができなかったくらいには自分語りが苦手である。とにかく自分のプライベートゾーンが広く、堅い。そんな性格。少し不語り、おしゃべり爆弾と称される男ではあるが、その会話の中身に実はそこまで実りがなかったりもする。
このままではよくないと思い、自分の内面を外に吐き出す練習も兼ねてこのブログを始めた。その結果が今日、旧友との飲み会で実ったと思っている。今まで自分の彼女の話なんて一言もしなかったのだが、今日の旧友との飲み会(ほとんど酒飲んでないけど)でみんなで腹を割って話し合うことができたな、と一人で成長を感じていたりした。
これがいいことなのか悪いことなのか、世間の評価は別れるかもしれないが、私としては相手のことだけ知っていて、自分のことはあんまり話さないのはまぁ、不公平だしなんかずるいよな、っていう気はしていたので人として少し前進できたのかな、とも思ったりする。
今にして思うと、私が自分語りを始めたのは社会人になって最初に仲良くなった女の子の影響が大きい気がする。めっちゃ聞き上手なのか、私の堅牢な口をあっさりかち割って私の自分語りをさせられた(この表現がいいものなのかはわからん)。今では自分の思考を垂れ流すブログを作り出す始末だったりする。
どんなことでも、やっぱり自分のことを腹を割って話せるかどうかで相手との付き合いが変わるのかな、と今日飲んでいた二人の友人を見ていて思ったりした。その二人は小学生の頃からの友人で、今でも自宅に泊まったりするくらいの仲らしい。一方、最近スプラトゥーンを一緒にしているコミュニティの方の人たちも長い人たちだと小学生くらいからの付き合いらしい。共通点があるとしたら、やっぱりこの腹を割って話せるかどうか、なのかなと今日思ったわけだ。私にはこの腹を割って話した記憶がある人間が最愛の彼女と家族くらいしかいないと思った。こりゃずっと縁のある人が少ないわけだ。なるほど。
こうしていろいろ自分の思考を文章にしていくことで、これから先、まだまだ自分は成長できる可能性があるなと感じた。人を変えることはできなくても自分は変えることができる。
リアルでは最近目玉が死んでる日が多かったが、やっぱり私には前を向いて元気に、それこそ劇場の上でビックスターを演じている時が一番私らしいのかな、と思ったりもした。今は生きていくためにペルソナを被って静かにしているが、そろそろ叛逆の翼を翻す時かな。文章にまとめている時は一番まとめやすい、こういう書き方をするが、Twitterとかももう少し明るくできればいいなと思うが、どうしてもこの書き方が楽なのでな……。これも変わっていくといいな、うん。